en-es-unica-japonesaのブログ

読みたい方のみお読みください。気分害する可能性大。日々の事柄への発散用のVloGです。

海外へ行く動機をしっかりしとけ

留学するとかっこいい
とか
外国語話せるとモテる
とか
日本はまだまだ鎖国状態だから
外国語話せる人に対して特別に感じてしまうのは無理ない


でもね


それぞれの外国語によって特徴があって


話す人の思考を変えてしまうほど


使われているボキャブラリ―すら違うんだよ。


マーガレットサッチャーもいうよね。


考えは言葉となり、
言葉は行動となり、
行動は習慣となり、
習慣は人格となり、
人格は運命となる。


これらは全部リンクしてるといって間違いない。


考えてることは言葉となる。


言葉次第で相手の考え方がわかる。


わたしが唯一マスターしつつあるスペイン語


この言葉を最初覚えようと決心した自分は無知すぎたことが今になってわかる


わたしは正直言って人種を差別する言葉や
相手を見下す言葉を使うことを嫌悪していたし
今もしている。


そんな言葉覚えて自分の思考を鈍らせたくない。
坂本龍馬のように、幕臣であれ乞食であれ、
正しい人が黒人であれば話を聞き感謝をし、
白人のイケメンであれ屑にはわたしの人生に1㎜も
かかわってほしくない。


スペイン語はまったくといっていいほど
わたしの意思に反する言葉である。



こんな記事を見ても驚かなくなったのは


こちらではアフリカ人をネグロと平気で呼ぶ人が多いからだ。
そしてネグロを避ける人も圧倒的に多いからだ。


ネグロがドアを開けてくれてもありがとう言わない。
挨拶もしない。話しかけられたくないから。
わたしがオフィスの黒人の隣人に、ネットサービス関連のことで興味があるといわれ
これはいいお客さんになるかもしれないと、同僚に話を持ち掛けると


おまえはなんだってそういう変な奴に話しかけるようなことをするんだ。
そんな物騒な奴に話しかけられないように、もっといかつい顔することを
日頃心がけろ


といわれた。
相手にもされなかった。
もちろん同僚はカタラン人である。


肌の色が濃い人を、フォーマルに言うスペイン語はしっかり存在する。
De colorというのだ。Colorは色。Deは英語のOf。
相手を差別しない言い方は存在する。
しかしネグロとこちらのひとは軽々しく呼ぶ。
英語のニガーを連想させることをしっかりわかったまま呼ぶ。


しかし自分たちが人種差別的だと非難される立場に回ると
そんなことはないと白々しくとぼけたふりをするのだ。


それについて私のカタラン人の彼氏ともよく言い合いをするし
そこに関してはなにも彼にリスペクトできない。


「俺はフランス人の友達もイタリア人の友達もいる。」
「それはおまえはヨーロッパからすら出てないじゃないか。フランス人の友達は黒人か?」
「いや、白人だが、オーストラリアの友達もいるぞ」
「そいつは私たち共有のあの白人の友達だろう?そしてお前はアジア系の友達はいるのか?おまえはわたしとはスペイン語で話ができるから付き合ったのだろうが、おまえの話す英語でアジア系の友達アフリカ系の友達はいるのか?モロッコやアラビア系の友達はいるのか?」
「モロッコやアラビア、アフロ系は変なやつしかいない」
といった具合だ。


わたしはアラビア語を今興味で独学で勉強をはじめた。
シーシャバーにいる濃いひげをたくわえた浅黒いウエイターたちと
彼らの言語で話したいと思っているからだ。
アフロ系ではないが、携帯関連でお世話になったアラビア系モロッコ系の知り合いもたくさんいる。そしてこのあいだそのウェブ関連の話をもちかけてくれたのも、
わたしから話しかけたアフロ系のドレッドヘアーを携えた背の高いイケメンの黒人だ。


わたしはこういう肌の色関係なくインターナショナルな友だちを作りたいがために
外国語を始めたのだ。


スペイン語にはあまりにも人種差別的用語が多すぎる。


それはスペイン語学者の思考をおおいに差別的思考にかえてしまう。


使うボキャブラリーこそがその人の人格を作り変えてしまうからだ。


こういう私もスペイン人の人種差別的思考への差別意識が高まり、こういう言葉を使うことによってスペインの文化自体を差別する思考、人格を自分で作り上げてしまっているからだ。



この記事を読んでくれている日本人の同郷人のみんなにも知ってほしい。
外国語はあなたの思考を開きもするし閉ざしもする。


より高度に発展した言語を学んだほうがあなたのプラスになることは間違いない。
フランス語や英語は、黒人たちや他の人種を(100%とはいえないが)受け入れたうえで発展している言語だ。


肌の色次第で差別する言語話者は非常に考え方が乏しい。
まったくといっていいほど"賢い"言語とは呼べないのだ。


わたしはだからスペイン語といってもオープンスペイン語を話すと自負している。
けして相手が違う国籍でもRara(変、異常)とは呼ばずにDiferente(違う、自分とことなる)という。


世界中の友達を作りたい。
彼らから自分の視野をより広げてくれる考え方を教わりたい。
彼らの文化をみて、吸収して、面白い世界が存在することを知りたい。
こんな差別する文化が今経済破綻に陥っているのもわたしは謎には思わない。


狭い視野は新しい境地に到達しえる可能性を圧倒的に下げる。
というか0にする。


外国語を知ったものは元居た外国語を知らなかった人生より豊かになるべきだ。


外国語を話す目的は新しく視野の範囲を広げ、あらゆる人とかかわりをもつことにある。


肌の色などというバカバカしい非人間的なおそまつな基準で
人をむやみに差別してはいけない。


スポーツという世界の舞台でも、そこにのぼってきた選手にはリスペクトを払え。
黒人を差別してきたままその世界の舞台にどうして出てきたのか、場違いもいいところだ。
出てけ。
そんな恥知らずの人間が住むこの国にいる自分も恥をかいている。


まだ改革しなくてはいけない。


植民地時代から脳が発達していないこの国を。