en-es-unica-japonesaのブログ

読みたい方のみお読みください。気分害する可能性大。日々の事柄への発散用のVloGです。

日本人だけじゃない、外国人社長の悪口。

わたしは哲学的なものが好きだ
プログラミング言語というものもA=B,B=Cというとき自動的にC=Aになるとか
ほっほー!すげー!って何に感動してるのかわからないまま感動して読んでしまう。
この性格から人の意見=>人の何かに対するときの価値の定義、基準を聞く側にまわってしまうのだ。


これがこちらでSKYPEにて行っている日本語レッスン中にもやってしまうことである(日本語を練習する人にとってはいいことなんだけど)


んでとある外国人のひとつ会社を抱える社長とのレッスンのとき


いっつも日本語で話せっていうのにこいつは
話が盛り上がっていると勝手に解釈し、自分の言語で話し始める。


やはり50歳男性はどこの野郎であっても、20前半の若い女の子にそういう話をするのがすきなのだ。(きもしー
そいつはもう既婚しているにも関わらず浮気をおおいに肯定する気色のわるいやつだった。


親愛なるはるのOぃ様にはとうてい及ばないが、居酒屋や接客業は15から毎深夜おっさんをあしらってきた経験があったので外国人のおっさんにもおなじように適当にはいはい言っていたら、もう痛いくらいにもう勝手に興奮して金をプレゼントしてきたり(生活のため金欠でクラスしているのでありがたかった)勝手に服や下着を買って届けたいから住所を教えてくれコール


わたしはなにも下の話も、まして相手に勘違いさせるような言動もしていない。
そんなことする人間ではない。そんなことする文化圏の外にいるのだから。
そう思っていた。向こうが気持ち悪い、女性を卑しめる言葉をいったときは
そういうことをいわれて誰もいい気持ちはしない、そういうことはよそでやれ、
と意思表示というものもしっかりやってきた。


しかしやめないのだ。ので、もう返事をするのもやめた。


だいたいなんだろうな、こういう人たちはずっと人生の決められた枠のなかに
いすぎて 変化を必要としていて、悪い変化のほうが麻薬と同じく瞬時につよい刺激をえられるものだから
そっちに傾いてしまって、結果見つかったり見つかられずこそこそやったり


奥さんが可哀想~なんていう人もいるが、奥さん自体にもおおきな問題があるのは確かだ。
苫米地先生がいうには、人生で起こるものすべての原因の半分は、自分にあるのだと。
いくら自分に非がなかろうが、事実もしあなたが存在していなかったら、あなたにそんなことも起こらなかった、という論(これだけだとじゃあ死ねばいいのかとか勘違いおこるので、苫米地先生の本を読むのをお勧めする


だいたい亭主の浮気ってのは自分の家庭に問題がなきゃそんな浮気をしたいという欲求もおこらない。奥さんもそれをこそこそやられるというのも、だいたい予想できるのは、信頼の欠如、コミュニケーション欠如、亭主への配慮に大きな問題。。があるんじゃないか。


亭主の道徳観が0なのも人間としてまずどうかだが、大問題に発展する前に、予防もしくは阻止できたはずだ(亭主とうまくやるために自分の思考と態度を改めるか、さっさとほかの可能性を探すか、問題はその状況から脱出しようという努力もせず、泥沼の中で入浴するかのようにずっとぐだぐだいることだ


50になっても自分の性的欲求をコントロールできない”大人”
奥さんの愚痴をもらす前に問題に立ち向かい解決しようとする能力も開花できない”大人”


15からこんな大人たちのいいわけをたくさん聞いてきたが、
いまさらおもったこともある。


こいつらはそんな醜い醜態を15か22の女の子にさらして恥ずかしいと感じることも
若い子にもっと世界はすばらしいと教えてやろうという気力も
もてないほど退化しているのか


自分が大人だったら、30歳も違う異性をたぶらかす、ましてや犯してやろうなどという犯罪者にも似た狂気も持つことはないとおもうが。
まあ俳優の世界でも60歳と30歳の結婚なんてのはざらにある、といえるような世界になっているのだから、どうなっているのかわからない。


日本でもこの国でも人など同じである。
だいたい国が違うから人の根本的なところまで違うと判断するのがおかしいのだ。


人なんて根本的なところはまったく変わらない。


同じ良い人も同じ悪い人も
どこにでも存在するのだ。